かぼす坊やの部屋

モノづくりから見る人間の心理を分析中

【保存版】小さな幸せは間違えると、危険!!

;お題「最近の小さな幸せ」

 

お題に沿った内容ではないかもしれません。

不快になる方もいるかもしれない。

 

覚悟して読み進めてください。

 

 

ケツメイシ「小さな幸せ」という歌。

 

 ~~~~~~~~~~~~~

 理想とは違う仕事に就いた

 変わらない生活日ごとに悔いた

 疲れ果てスマホ握りしめ眠る

 生活も慣れて月日は巡る

 そんな生活の中にだって

 小さな幸せがたまにあって

 あそこの定食がウマかったり

 風呂に浸かり歌う歌だったり

 ~~~~~~~~~~~~~

 

この歌に励まされた方も多いのでしょうか?

この歌詞には本当はどんな意味があるのか。

「そんな理想とは違う毎日でも、

小さな幸せを感じて頑張ろう。」

という意味にも受け取れます。

 

でも私には、

小さな幸せを感じながらも、

どうにもならない気持ちを抱えてる。

という風にも聞こえるのですがどうですか?

 

 

幸せの定義とか概念って、

色々な視点が合って、

正解はないのだと思うのです。

 

 

私自身は

上手くいかないことが起きると、

そこにスポットが当たりすぎて、

全てがダメなように感じて、

どん底まで落ち込んでいくタイプ。

 

そんなときは、

”小さな幸せ”を一つずつ感じるようにすると、

気持ちが楽になる。

 

”小さな幸せ”には何度も助けられてきました。

 

指一本失うことなく、

健康がそこにあることのありがたみ。

 

子どもたちも健康で、

日々過ごせることのありがたみ。

 

水道をひねれば当たり前のように水が出てきて、

温かい布団で眠れるありがたみ。

 

夜にはきちんと睡眠を取ることができ、

朝は散歩にでる。

こんな平和な日々。

 

私たち日本人は、

世界から見たら、

本当に恵まれています。

 

お金がなくても

当たり前に自分がいて、

生きていることがどれだけの財産なのか?

 

しっかり感じて生きることは大切だと思います。

 

そうすることによって

心が楽になり、

また一日頑張る糧になるのなら、

それを否定もしませんし、

素晴らしいことだと。

 

 

一方で、

それは間違いだ、

と自分の本能が言ってるときもある。

 

上述のケツメイシの歌詞の中で

 

”多くを望むのバチ当たりだよな

これだけあったら幸せだよな”

 

の部分。

 

多くを望むのバチ当たり?

 

それは違う。

 

 

日本にはこの考えが根付いてます。

特に年齢重ねた方が、

持ってる考え方。

 

 

こうやって言い聞かせているの見ると、

一種の洗脳のように思えてなりません。

 

したいことに近づける努力をしたり、

失敗をして学んだり、

その権利があるのに、

それを自分で押さえつけてるのは、

悲しいこと。

 

 

  • 「本当はこうしたい」、

  っていう自分の思いに蓋をする。

 

人間はみんな役割を持って

生まれてくると思っていて、

そういう方向に心が向くのは

すごく自然な事。

 

そう言うと

「じゃあ私の役割ってなんなんだよ」

って攻撃的になる人もいますよね。

 

私自身も自分の役割をわかってる

わけではないんです。

それを見つけるのは自分しかいない。

 

だって誰かが、

「それをすることがあなたの役割ね」

って言ってきても、

自分がそうじゃない、

って思ってたら違うんです。

 

ふとしたときに惹かれるものや感情、

それをやってみること。

その積み重ねの先にあるのだと

思っています。

 

特に子どもの頃思ってたことって、

すごく本能の部分が大きい。

 

私はとにかく作ることが好きで、

お店屋さんごっこが好きで、

洋服を買うのがなによりの楽しみでした。

小さい子どもが好きで、

保育士になりたいとも思っていました。

 

そして、現在私は服を作って販売をしています。

保育士にはならなかったけど、

我が子のために、

服を作るのは、

すごく満たされた気持ちになります。

 

もう一つは権利という観点で。

好きな事、嫌いな事、

そう言う考えを持つということは

人間としての権利だと思うんです。

 

私が子どもに読んでいる絵本の中に、

”平和”をテーマにした話があります。

「何を信じても信じなくても、

誰かに否定されたりしない」

という部分。

 

その視点から考えてみても、

”小さな幸せがあるからいいじゃないか”

と自分の信じてることを、

暗に否定してしまっていませんか。

 

 

  • 目指したいことがあるのに、

  それが難しいときに、

  言い訳のように使う。

 

せっかくやりたいことを決めて、

それに向かって進んでいるとき。

 

たくさんの壁にぶち当たります。

もう無理なのかなって思う。

 

そこでね、

「私は健康があるだけ、

毎日温かい布団で眠れるだけで十分。

何か目指すなんて私には贅沢なのよ」

 

って考える。

そして諦める。

厳しいですが、

それってただの言い訳に利用していませんか??

 

一時的にしんどいときに、

そうやって休憩してもいい。

他のことをやってみるのもいい。

心は大切にしていいです。

 

でも辞めてしまうのですか?

少し休んで余裕が出た時に、

ふとまた目指したくなりませんか?

そんな自分の感情を、

何度も何度も潰す。

 

そして自分のやりたいことがわからなくなる。

幸せってなんだろうって悩む。

 

 

したいことがわからない、

っていう人が溢れている世の中。

それってものすごく辛いですよね。

「自分のしたいことをすればいい」

って、それがわからないならどうすんだ!って。

 

そんな方は今まで、

自分を潰してきてしまっていませんか?

自分が考えることを否定してきてないですか?

そしたら、したいことが

わからなくなって当然です。

 

もしもそれで納得しながら

一生暮らしていけるなら、

その人にとっての正解なのかもしれない。

 

それは個々が決めること。

 

けどそれでは違うと思うのなら、

その”小さな幸せ”の

使い方は間違いになる。

 

 

  • 失敗したときに、

  「これは大きなことを望んだから

  バチが当たったんだ」と責める。

 

これも本当によく聞く言葉。

うんざりします。笑

 

なんでも上手くいくわけないじゃないですか。

大人になったら、

失敗しないのが正解ですか?

 

初めてやることなのに、

失敗しないんだというほど、

自分は人より優れていると思いますか?

 

私が何度も苦しかったのは

失敗することより、

失敗することが悪いという概念。

 

たくさん苦しんだけど、

今では、結果はどうであれ、

チャレンジした自分に価値があると思うので、

自分を自分で褒めてあげるようにしてます。

 

私は優れた人間じゃないので、

人より遅いし、

転びまくって当然。

 

失敗って、

チャレンジした証ですよね。

 

泣いても悔しくてもダサくても

いいじゃないですか。

 

それだけ頑張ったってこと。

人生でそれだけ頑張ることを

見つけて取り組んだ。

 

チャレンジしない人より、

チャレンジする人の方が、

多く行動して、

勇気を出したのに、

何故バチが当たるんですか??

 

って思います。

 

大きなことを望んだら、

道のりは険しいんです。

 

初めて歩く道、

躓いて転んで当然。

 

それで諦める理由にしないでほしい。

無理やり周りの人を悲しませながら、

自分本位に進めというのではなく。

 

失敗しても、

どうしたらできるか?

考えてほしい。

一つでも少しでもできることが

あるかもしれない。

 

失敗したからこそ、

それを活かして欲しい。

 

失敗は財産です。

バチなんて当たらない。

 

私は全くすごい人間ではないのですが、

そういうもったいないことを言う人を

たくさん見てきました。

 

なんでそんな才能があるのに

「小さな幸せ以上は望まない」

ってストッパーかけちゃうの?って。

 

 

小さな幸せはっていいことです。

 

でもだから大きな幸せに向かって、

歩きたいと思うことが、

バチ当たりだとか、

悪いことだということになりますか?

 

 

一つの考えを正当化するために、

別の考え方を否定する。

 

歴史を見ても、

人を助けるために生みだされたものも、

使い方を間違えると

逆の効果になるってことはありますよね。

 

確か、爆弾もトンネルに穴を空けるのに役立って、

みんなを助けるために開発されたとか。

それが、戦争で使われる。

爆弾を生み出した人は、

そんなつもりじゃなかったのに、

と悲しむ。

 

”小さな幸せ”

も使い道を誤ると、

せっかく人を助けるために生まれた

言葉なのに、

悲しい結果になりかねないと思ってます。

 

良い薬だって副作用があるから、

毎日それだけ飲んでればいいって

もんでもないですよね。

 

 

小さな幸せにも副作用があり、

乱用しまくることのないよう。

 

 

みなさんが大きな幸せに向かって

歩いていくことを応援します。

そして私自身もしっかり進んでいきたいと

思います。

 

 

ではまた!!