かぼす坊やの部屋

モノづくりから見る人間の心理を分析中

【必見】間違った節約術~3.不景気な世の中で、一番の無駄遣いとは?

こんにちは。

皆さんは見栄を張っていますか?

(なんだその質問)

  

  

  

私が以前聞いた話。

子どもが小学生に上がるときに、

クレヨンや絵の具セットを買い替えたりする。

そのときに、

「保育園で買ったものが全然使っていないけど、

 小学生に上がるから新しいものを買った」

という。

 

えー?なんでだろう。

それは

「自分ちの子だけ違うメーカーだったら、

 可哀想だから」

 

 

そうなんだ。

可哀想なんだ。

可哀想ってなんだろう?

 

って話は置いといて。

 

 

「みんなと一緒じゃないと可哀想」

この感覚。

日本人は特にこの感覚が

鋭いような気がする。

 

 

ちなみに我が家では全くわからない

感覚である。

 

子どもって自分を可哀想だとか、

いや子どもじゃなくても、

本来は可哀想だっていうのは

本人はそんなに感じていないんじゃないかな。

 

大抵、

「うちの子だけ他の子と違うメーカーを

 使っているのは可哀想だ」

って誰かに言われて、

あー、それは可哀想なんだ、

って自覚していく。

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うちの息子は小さい時、

お姉ちゃんのスカートを履いて

出かけたいと言ったので、

そのまま出かけたことがある。

 

その時私が言ったのは

「男の子はスカートを履くことはしないけど

 あなたがそれでいいと思うならいいよ」

 

 

嬉しそうにお外に着て行って、

それを他の人が変な目で見たかもしれない。

 

だけど、私たちにとって、

本人にとってはただ嬉しいだけのこと。

 

 

それをもし私が

「男の子がスカートを履くなんて

 恥ずかしいからやめなさい」

と言えば、

息子は、スカートを履くのは

恥ずかしいことなんだ、

と思うようになっただろう。

 

こんな感じで、

大人の概念で、

可哀想、

恥ずかしい、

と決めていく。

 

 

具体的にどう恥ずかしいのか、

誰もよくわからないまま、

その概念が染みついて、

出費も増えていくことになる。

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うちの息子は来年小学生に上がる。

お姉ちゃんのリボンのついたランドセル。

それを息子が嫌がらなければ、

ランドセルカバーを付けて

使ってもらう予定でいる。

 

私は恥ずかしいとか可哀想という

概念がそれほど重要ではないと

思っているので、

結構そういう出費は少ないと思う。

 

お姉ちゃんもランドセルカバーを

使っていたので、

割と綺麗だし、

それを買わないのならかなり

節約ができる。

 

その代わりに、

入学のお祝いは息子の好きなものを

食べに行くとか、

ほかに欲しいおもちゃを買うとか、

それでもランドセルよりは安いし、

「ランドセルを買わない代わりに

 少し高いおもちゃを買っていいよ!」

と言えば息子も喜ぶと思う。

「ランドセルのカバーには

 好きなワッペンを買って貼ってあげる」

と言ったら、

喜んで手芸屋さんに行くだろう。

高学年になって、

好みが変われば、

違うワッペンに張り替えてあげることもできる。

 

これが可哀想で恥ずかしいことだろうか。

物と資源とお金を大切にしていること

にはならないだろうか?

 

これだって

「お姉ちゃんには新品のランドセルを

 買ったのに、弟には

 お古だなんて可哀想だ」

と言えば、息子は突然

新品のランドセルを欲しがるかもしれない。

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可哀想、

恥ずかしい、

とは誰にとって?

 

それは”他者”に対して、

引け目を感じる、

ということだと思う。

 

しかも、お古のランドセルだろうが、

新品のクレヨンではなかろうが、

私は他人の子がそうであっても

可哀想だとか思わない。

 

それに可哀想、のほかに

伝えることもできる。

「せっかくクレヨンが生まれてきたのに

 最後まで使ってあげないと悲しむね」

とか。

 

 

自分たちはそう思っていないのに、

誰かの目線に合わせて、

出費を増やしていく。

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ランドセルを新品で買うのが全て

悪いと言ってるわけではない。

そういうお祝いをすることが

親にとっての喜びで、

子どもが好きなランドセルを買う姿を

目に焼き付けながら、

6年間それを使う。

その頃の幸せな気分を思い出し、

子供の成長を感じたい。

そういう自分たちの大切にしたい

ことにお金を使うのは、

とても素敵なことだと思う。

 

 

それは他人の目ではなく、

自分たちの家庭にとっての

幸せの形なのだから。

 

 

私が心底無駄遣いだと思っているのは、

他者のための見栄のために

自分たちには必要のない出費をすること。

 

 

それは言い換えれば、

「お古を使わせるなんて

 恥ずかしい家庭ね」

と、失礼なことを言ってくる

他人に対してお金を払っているのと同じ。

 

自分の子どものためではない。

 

そんな”失礼なことを言ってくる

失礼な人のために”。

 

そんな人のためにお金を払う

必要があるのだろうか??

 

 

自分の大切な人や

身近な人を思い出してみてください。

 

私の周りの人は、

私がお古のランドセルを持たせようが、

息子をスカートで出かけさせようが、(笑)

そんなことを言ってくる気がしない。

むしろ「スカートなんて今時じゃん」

なんて冗談も聞こえてくる気もする。

 

 

それでも中には

「うわ!男がスカート履いてきもい」

っていう子もいるだろう。

でもそれは一体どれくらいの割合でいるのだろう。

 

いくら7割の人が肯定していても、

3割の否定の方が

傷付き大きく感じてしまう。

 

なんなら何も言わない他の9割の人は

ほほえましく思ってるかもしれないのに、

たった一人の心ない言葉が

全てのような気がすることもある。

 

それで、もうスカートを履かない!

ランドセルのお古は嫌だ!

そういう気持ちもわかる。

 

 

だけど、少し冷静に考えて。

 

それは少数派の

心無い人の気持ちを、

自分の気持ちよりも

優先していることになっていると。

 

大事なのはどちらですか?

その行動が他人に迷惑をかけますか?

むしろ心無い発言で自分が

迷惑をかけられている。

そんな人に対する見栄は

必要ですか?

 

「保育園の頃使ってたクレヨンを

 大切に最後まで使うなんて、

 モノを大事にしていて素敵ね」

 

「お姉ちゃんが使っていたランドセルを

 使ってるなんて、かっこいいね」

 

って言ってくれる人はいませんか?

否定する人も肯定する人もいるのです。

否定する人は自分の固定概念を

人に押し付けてる自分勝手な人。

肯定する人は、

相手の意見を尊重する人。

 

どっちが自分にとって大切な人?

どっちの人の意見を聞きたい?

 

「自分で稼いだお金は自分だけのものだ」とか

「お金がないから節約して食費を削っている」とか

言ってる人に限って、

よくわからない他人のために

お金を流してる。

自分たちの食費より、

偏見を持つ他人への見栄にお金を使う。

 

頑張ってトイレットペーパーを買うために並び、

安売りのスーパーに遠出をして浮かせたお金を、

他人のために使う。

 

そうじゃなくて、

頑張って捻出した大切なお金を、

自分や子どもの喜びのために

使った方がいいのでは??

  ・

  ・

  ・

と純粋に疑問だったことを

書かせていただきました。

 

 

次回も節約術の4番へ続きます。

お楽しみに♪